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8月, 2003の投稿を表示しています

屋久島編 1 -きっかけ

 きっかけ  旅に出る理由は人それぞれ。まとまった休みがとれたからとか、 傷心をいやすためだとかほんの気まぐれでとか。 ネット上の屋久島の旅行記を読んでみると、仕事を辞めたのをきっかけにとか家族や親しい人が亡くなってと、ある種人生の転換の時に旅に出ることがあるみたいだ。  私も父が亡くなって、同時に仕事も会社更正法とやらで失ってしまった。会社の方はそんなにショックじゃなかったけれど。納骨までの1ヶ月間はアパートを引き払ったり、名義変更など諸々の手続きで落ち着くことがなかった。その後、プー太郎の私には学生以来の「夏休み」が続いていた。 何だか旅にでも出なくては居たたまれない気持ちになっていた。 心配性の母も「どーせ、行くと決めたら行くんでしょ。」とあっさり承諾してくれた。  屋久島に決めた理由は「海と山が両方楽しめる」「南の島」を条件に行き先を選んでいるうちに浮かんできた場所だったから。 さらに調べると、「縄文杉」という何千年も生きている巨大な樹のある島であるということ。 深く考えずに「縄文杉」に会いに行こうと思った。 長寿の樹にはそれなりの力が宿っているのではと私は思う。巨木信仰というものもあるし。その重ねた年月分の「何か」を感じることができたらいいなぁと思ったのだ。そして、その「何か」が自分を変えるようなものだったら、と期待もしていた。  いくつかのエコツアーを主催する方の意見には「日帰り登山はかつての伐採跡をたどるもので見るべきものは無い」と否定的なものがある。また、「今は縄文杉の根元を踏み荒らされないよう遠くから眺めるだけ」とも。 私はそれでも「縄文杉」を見たいと思った。伐採跡でもかまわない。ヒトとは比較にならない年月を生きてきた樹を直接、自分の目で見て確かめたかった。ひとりよがりのなにものでもないが、屋久島のガイドブックを買い、登山用の装備をそろえて3泊4日の日程で出発した。 アクセス ◯往路 所要時間:約15時間 18:53 東京発 のぞみ27号 23:57 博多着 00:06 博多発 ドリームつばめ(グリーン席) 05:54 西鹿児島着 船=> 高速水中翼船 ジェットフォイル「トッピー」 08:00 鹿児島港発(指宿経由) 10:05 屋久島・宮之浦港着 ◯復路 所要時間:約19時間 船=> 高速水中翼船 ジェットフォイル「トッピ...

屋久島編 2  -夜行を乗り継ぎ屋久島に着くまで

7月22日(火)  九州南部が梅雨明け宣言をして、夏休みも始まったばかり。 陸路を使って鹿児島港を目指す。空路なら1時間40分の距離をわざわざ列車で行く理由は一つ。…飛行機に乗るのがこわいから。  博多からは夜行列車「ドリームつばめ」に乗り換え。 ゆったり寝たいから奮発してグリーン席。背もたれを倒しても前後に充分余裕があり、内装が落ち着いていて素敵だった。備え付けの毛布をかけて就寝。  明けて23日早朝、西鹿児島駅に着く。列車を降りた途端、蒸し暑さにびっくりした。 梅雨真っ只中の関東とは大違い。急いで羽織っていたシャツを脱いだ。  鹿児島の天気はくもり。屋久島へ船で渡るため鹿児島港を目指す。高速水中翼船「トッピー」の乗船時間まで2時間弱あったので、港まで徒歩で向かった。しかし、思いの外遠く後悔する。朝のあまり人気のない商店街を通り過ぎるタクシーと、路面電車を横目に歩き続けること20分。北埠頭に到着(汗だく)。 ローソンに寄って朝ごはんのパンとジュース、栄養ゼリーを購入。船酔いが不安だったので酔い止めを飲む。  トッピーの2階席から目前の桜島を鑑賞しつつ、屋久島へ出航! トッピーは水面から船体を浮かせて走るからなのか、新幹線と同じような乗り心地で快適だった。港に着くまで睡眠。 つづきを読む

屋久島編 3 -宮之浦港

 7月23日(水)  午前10時ちょっと過ぎ、屋久島・宮之浦港に到着。 「洋上アルプス」といわれるだけあって、眼前の風景は山頂が雲に隠れた山と山。 乗船所の入口ではガイドさんたちが予約のお客さんの名前を書いた紙を掲げながら出迎えている。その中に「空車あります」の文字を見つけ、寄っていってたずねた。 「あの、レンタカーおねがいします。」  レンタカー契約を終えて早速向かったのは、「屋久島環境文化村センター」。 島到着時に最初に見える観光施設だ。ガイドブックによれば、屋久島の自然を巨大スクリーンで堪能できるとある。れっつごー!  場内には4、5人のお客さんがいた。みんな静かにスクリーンを眺めていた。そのスクリーンサイズ、たて14メートル、よこ20メートル!映像を観る前に大きさに驚く。 山の上空から谷川の流れをたどるシーンはフワフワ空を飛んでいるような感覚になった。 さて、この映像美を淡々と語るナレーションは次のうち誰でしょう?こたえはページの最後に。  1.江守 徹さん  2.モロ師岡さん  3.阿部 寛さん  展示ホールでは屋久島の歴史と動植物の紹介と、樹木伐採に使用していた道具、世界遺産の認定書のレプリカ(金色のプレート)が展示してあった。  今回の旅の目的「縄文杉登山」をするためには「登山届」が必要である。そのため宮之浦港近くの「屋久島観光センター」へ。 受付のおじさんにもらった紙に住所や氏名、入山の時間と下山予定の時間を書いて返すと、注意事項を説明してくれた。 頭に残ったのは、必ず「下山届」を電話で連絡すること。そうしないと遭難の疑いで山狩りが行われ、それにかかる費用はすべて当人持ちということだ。 「10万以上は軽くする」との言葉に、「下山連絡は必ずするべし!」と誓った。 観光センターにはおみやげも販売していたので、家族と友人に購入して配送手続きをすませた。 こたえ 3 つづきを読む

屋久島編 4 -大川(おおこ)の滝

 島の南、安房(あんぼう)方面を目指す。 30分ほどで、3日間お世話になる「民宿あんぼう」に到着。チェックインにはまだ早いので、昼ごはんを食べに行く。 「屋久島有用植物リサーチパーク」の駐車場に車を止めて外に出た途端、燃えるような暑さに「おぉっ!?」と声をあげて驚いてしまった。途中スコールに会い、今は快晴になっていた。走行中はエアコンのせいでわからなかった。こんな暑さを体験したのは初めてだった。 これが、亜熱帯の島。  パーク内のレストランで和風ハンバーグセットをいただく。生きかえった。デザートと食後のアイスティーを飲んで、ごちそうさま。  リサーチパークは広ーい土地に屋久島の植物をほとんど展示しているのだが、何せ暑いので涼を求めて本日のメイン「大川の滝(おおこのたき)」へ行くことにした。  尾之間地区、栗生浜を通って40分ほどで大川の滝への入口に到着。1台しか通れない幅の道を進むと小さな駐車場がある。 5台の駐車スペースのうち1台がちょうど空いて、すかさず入った。  日本の滝100選の一つでもある大川の滝で最初に驚くこと、感動することはふたつ。 ひとつはもちろん、視界いっぱいに広がる岩肌と滝。 もうひとつは、周りに転がっている石のでかさ。 1個1個大きな石の上に手をつきながら慎重に渡りつつ、滝つぼの傍まで行くと、落水のとどろきと、とめどなき水しぶきを浴びた。 しばらく呆然と眺めていた。 まわりには、カップルらしき二人、家族連れ、男性二人組がそれぞれ好きな石の上に座ったり横になって滝を見ていた。 滝つぼから流れ出る水に触れると、とても冷たくて気持ちよかった。  時刻は午後3時10分。民宿のチェックイン時刻は過ぎたが、安房へすぐ戻るのはもったいないので、大川の滝から10分ほどのところにある「屋久島フルーツガーデン」へ行く。 入口はすでにジャングルの雰囲気。扇風機のまわる素朴な休憩所で入園料500円をおばちゃんに払うと、いくつかのフルーツをお皿に盛って一つずつ説明してくれた。 スターフルーツ、たんかん、パッションフルーツ、たんかんジャム、スモモジャム。バナナ。まさに星の形をしたスターフルーツはとっても「しゅっぱい!」。 1ミリほどの薄切りという理由がわかる。  奥にいたお客さんが「スターフルーツは熟してもすっぱいの?」と訊いた。 フルーツガーデンのおじさんは「ええ、そう...

屋久島編 5 -千尋(せんぴろ)の滝

 屋久島のもう一つの有名な滝「千尋の滝」(せんぴろのたき)を観に行く。 屋久島の名所へは案内の看板が頼りである。しかし、けっこうわかりにくかったりする。 あえて目立たないようにしているのか、ぽつんとあったりするので通りすぎてはUターン、ということが何度かあった。  千尋の滝は駐車場から少し歩いたところの展望台から眺めることができる。 滝の左側は1枚の花崗岩で、斜めにスパッと切ったように平らだった。決してコンクリートで固めた岩肌ではないのだ。 自然が創り出した景観に感動した。 もう一つある展望台に昇ってもう一度滝を観賞した。 後ろを振り向くと太平洋が広がっている  壮観な自然に胸がいっぱいになったところで民宿へ向かう。 素泊まりで予約したため、安房港近くの「Aコープ」で夕飯のお弁当とジュース、翌日の登山のためのオニギリ&牛乳を買う。  民宿あんぼうではおかみさんが出迎えてくれた。1階の4畳半の部屋だ。 テレビとエアコンがついていて充分な広さである。眠くなる前に明日の準備をしておこうと荷物を広げていると、おかみさんがドアをノックする。 「おふろ今空いてるけど、入ります?」>ハイ、入りまーす! 汗を流してサッパリするともう眠くなった。眠気を抑えながら服を洗濯し(洗濯機も無料)、部屋に干して(物干しロープもある!)さっき買ったお弁当を食べて、歯をみがく。 明日はこの旅のメインイベント「縄文杉登山」である。 午前4時15分起床! 準備をすませて早めに就寝した。 ---初日おしまい。 つづきを読む

屋久島編 6 縄文杉登山 -(1)いきなり迷う

 7月24日(木)  午前4時15分。外はまっくら。ほかの宿泊者の迷惑にならないようにゴソゴソと支度をした。玄関の鍵は早朝の登山者のために開けてあった。 縄文杉登山のスタート地点となる「荒川登山口」へは、安房から車で約1時間かかる。入山予定時刻を午前5時30分と登山届に書いたので充分間に合うはず。 しかし、ライトをつけて車を発進したものの登山口への道がわからない。看板の案内どおりにいけば大丈夫だろうと思っていたが、あたりは真っ暗闇なので道しるべもよけいに見えなかった。  ウロウロしているうちに登山口への道しるべをなんとか見つけ、登山口の手前の「荒川わかれ」という二股の道に出た。石の道しるべに行き先が彫ってある。 右へ行くと荒川登山口。左へ行くと「ヤクスギランド」と宮之浦岳登山の「淀川登山口」。 私は、確信をもって「左」へハンドルをきった。地図を見た時にどういうわけか「ヤクスギランド」の方に「荒川登山口」があると思いこんでいたから。同時に、暗くて「淀川登山口」の「淀」が「荒」に見えた。道すがら本来なら出会えるはずのない「紀元杉」を観て、これから始まる登山のことを思いワクワクしたりした。  「淀川登山口」は行き止まりにあった。空はもう白み始めて朝もやがたちこめていた。 間違っていることにまだ気づいていない私は、(ガイドブックの写真より狭いとこだなァ…)と思った。車も2台しか止まっておらず、男性が一人ウォーミングアップしている最中。 登山口の階段に「宮之浦岳」の文字を見つけてようやく間違いに気づき、あわてて元来た道を戻った。40分のロス!  結局、午前5時30分到着予定が、午前6時30分になってしまった。 駐車場は20台分あるけれどすでに満杯だった。端っこに止めようとセコイことをしようとしたらガイドの人に注意された。しかたなく引き返して2台分のスペースがある空き地に車を停めた。私のあとから来た車も同じ所に止めようとして同じように注意されていた。 ガイドツアー参加者だけでなく、私のように個別の登山者もかなり多いということだ。そのうち、登山口まで個人の車で行くことはできなくなるかもしれない。 つづきを読む

屋久島編 7 縄文杉登山 -(2)トロッコ線路の登山道

   午前6時30分、荒川登山口到着。 トイレを済ませたあと、周りの人のマネをして軽く準備体操。往路4時間の登山スタート! まずは「小杉谷集落跡」をめざす。所要40分。登山道は昔、屋久杉の運搬に使用されたトロッコの線路である。枕木の間隔と歩調がずれるので歩きにくい。つまづきやすいから注意が必要だ。  最初に渡る橋は、左右にワイヤーが張ってある。枕木の間から下が丸見え。 眼下の川の水量は少なく、かわりに大川の滝で見たようなでっかい石がごろごろしていた。 橋を渡ってすぐに岩のトンネルをくぐる。 次に渡る橋にはもうワイヤーがない。 幅は十分にあるものの、橋の上で立ち止まっているのは少しだけ怖かった。 でっかい石をずっと見ていると遠近感に違和感が生じる。その石のうえで早くも朝ごはんを広げているグループがいた。  サクサク進んで、いくつかのグループを追い越す。線路を降りて先頭に出たり、最後尾の人が気づいてわざわざ端に寄ってくださったり。 追い越すたびに「おはようございます。」とか「ありがとうございます。」とあいさつを交わした。 気持ちがいいものだ。 前にまた隊列が見えてくると、ずっと後ろにくっついているのが悪い気がしてきて、体力に余裕があるうちは追い越しまくった。  いつのまにか、前後には誰もいなくなった。 セミの声と沢のザーという音、それから鳥の声。 初日に環境文化村センターで覚えた鳥の声と同じ声が聞こえた。姿は見えなかったけれどうれしかった。 どんどん山は深くなる。濃い緑の独特な香り。あちこちで湧き水が流れていた。 覆うような木の枝の間から空を見たら青空だった。 1日暑くなりそうだと思った。 つづきを読む

屋久島編 8 縄文杉登山 -(3)小杉谷の集落跡でひと休憩

  午前7時14分。小杉谷休憩小屋に到着。 すでに到着した人たちが水を汲み足したりして休憩していた。ガイドブックにある所要時間どおりだけれど自分ではちょっと早めのペースだった。  小杉谷の集落は昭和45年まで屋久杉の伐採、加工を生業とする人たちが住んでいた所。今は線路と森林以外なにもない山奥で、たくさんの人が生活して、ここで亡くなった人もいたんだろうなと思うと不思議な気持ちがした。小、中学校の跡地はフットサルが出来るくらいの原っぱだった。 当時の生活の足はやはりトロッコだったらしく、お母さんと子どもがトロッコに乗って買い出しに向かう写真があった。 小中学校跡地へ続く線路  小杉谷は伐採するだけではなく植林も行っていた。今だけではなく、未来にも森を残そうとちゃんと考えていた。屋久杉のようにたくましく育つには途方もない歳月がいるけれど。  5分ほど休憩した後、小杉谷休憩所を出発。次の目標地点は「三代杉」。  湧き水が長い間流れたところは地面を削って小さな沢になる。線路を引くためそこには橋がかけられる。丸太を渡して組んだだけの橋。その手前に「木橋1号」と書かれた杭が打ち込まれているのを見つけた。先へ進むと同じような丸太の橋に何度か出会う。手前にはやはり「木橋2号」3号…と続いた。「木橋」というそのまんまなネーミングが名字に思えてきて親しみがわいてきた私は「君」付けで呼ぶことにした。 つまり、「やぁ、君は木橋君○号だね」。 結局、木橋君は7号か8号までいたと思う。 木橋君 つづきを読む

屋久島編 9 縄文杉登山 -(4)「三代杉」~「大株歩道入口」

 午前7時42分。「三代杉」到着。 ここでも休憩している人たちに出会った。三代杉という名前は三代に渡って木が更新されたことからつけられたそうで、1代目が倒れたあと残った株から2代目が成長し、伐採によって切株のみとなり、その切株から3代目が育ったという。 二人羽織みたいにくるんでくるんで大きくなったという感じだ。 根元は空洞になっていて、一人用のテントになりそうだ。  次の目標はトロッコ線路の終点、「大株歩道入口」。  午前8時43分。「大株歩道入口」到着。 木で組まれた階段の側に立つ看板は入口であることを示している。 大株歩道入口 が、思わず疑ってしまった。 急な階段の先の斜面は森の奥へと消えている。 >本当にここを登っていくのか? 線路は別の方向へまだ続いている。ためしにそのまま歩いていくと線路の終点はトイレだった。引き返して階段前の石の上にこしかけた。 「帰ろうかな…」 ここから縄文杉へはあと2時間かかるのだ。 側の看板を見ると、 「ウィルソン株まで 約25分 大王杉まで     約70分 縄文杉まで     約110分 高塚小屋まで   約125分」とあった。 せめて「ウィルソン株」だけでも見てから…。(弱腰) 階段の左側には沢があり、裸足になって沢登りをしている女の子たちがいた。 とてもうらやましく見えたけれど、余計な体力を使いたくなかったので見るだけで涼を得た。 水分補給をし、トイレを済ませて、さぁ、もうひと踏ん張りですよ!  もう一つあった看板には、日帰り登山者へ向けた注意書きがある。  ・この場所を午前10時には出発すること  ・縄文杉に着いたら午後1時には帰路につくこと 日帰りといっても往復8時間の登山ならでは。時間的に余裕は十分だ。  大株歩道の1つ目の長寿杉、「翁杉」を目指す。 階段を登りきると岩と木の根がむきだしの斜面だった。 手をつかわないと登れないのでリュックから軍手を取り出した。ちょうど上のほうから男の人が降りてきたので端によって通り過ぎるのを待った。 手近な枝や石に手をかけて慎重に登っていく。今まで何人もが同じようにつかんだであろう枝はツルツルになって光沢を放っていた。 つづきを読む

屋久島編 10 縄文杉登山 -(5)たまげる!「ウィルソン株」

  「登山初心者でも行ける」とガイドブックやホームページにあったが、これは特別専門的な知識はいらないということであり、「楽に登れる」という意味は含まれていなかった。  午前9時2分。「翁杉」到着、と同時に今までの疲労が軽くなった。 2千年以上もずっと生き続けている「風格」に圧倒されたのか、もしくはヒンヤリとした朝の空気がまだ漂っていたせいかも。 見上げてみると枝を広げているわけではなく、幹だけが残っている状態で、まるで大地から生えた角のようだった。  たいていの道は木を組んで造られている。急坂では階段になっているけれど、見上げてため息をついてしまうような「はしご」に近い階段も多い。こんな階段に出あったら頂上を確認して一気に昇りきらないといけない。途中で立ち止まったら動けなくなりそうだったから。 翁杉  午前9時9分。「ウィルソン株」到着。 この大きさにはたまげますよ。象を5頭寄せ集めたような(?)。 豊臣秀吉が伐採を命じたといわれる有名な切株。中は空洞になっていて、大人二人分以上の高さがある。小さな祠がまつってあった。 広さは大人が10人入っても余裕があるくらい。 見上げると空が見えた。ここで雨宿りした人が小屋だと思っていたという話があるけれど、そう間違ってもおかしくはない。  大きな株をずっと眺めていたら元気がでた。縄文杉へもたどりつける自信が湧いてきた。 周りには名前はついていないけれど太い幹の木や根、倒木がごろごろしている。大きくて当たり前の森でいちいち驚くことはなくなってきた。  湧き水の汲み場所を求めて、手を使い這い上がり続けること30分。そこはあらわれた。 沢にパイプをさして汲みやすくしてあり、軍手を外して触れるととても冷たくてHPも回復する。 空のペットボトルに注いで飲んでみると、ほーんのり甘みがしておいしい。超軟水といわれるだけあってとっても飲みやすい。 ペットボトルに満杯にした。  次は、大王杉が待っている。 つづきを読む

屋久島編 11 縄文杉登山 -(6)長袖を指摘される

  午前10時。「大王杉」到着。 縄文杉が発見されるまでは最長老だったそうだ。推定3000歳。 幹に耳を当てたら水を吸い上げる音が聞こえるかなと思ってやってみた。ひんやりした樹肌の感触がしたけれど音は聞こえなかった。  午前10時8分。「夫婦杉」到着。 2本の樹が1本の枝でつながっていた。大きさからして右側が夫だろうか。手をつないでいるというよりも、妻の肩に手をおいて立っている様子を想像した。  いよいよ次が最終地点「縄文杉」である。 世界最大の杉がどれほどのものなのかわくわくする。自分に何か変化が起きるような、何かをもたらすかもしれないという期待感。  ハァハァ荒い息をつきながら登っていると前から親子が軽快に降りてきた。もう、縄文杉を観てきたのだろうか。 「こんにちはー」とあいさつを交わすと、お父さんがハツラツと私に言う。 「暑そうだねぇ、長袖だもんなァ。まァ、ゆっくりいってらっしゃい。」 そして息子さんと一緒に慣れた足取りで降りて行ってしまった。 …そういえば、今まですれ違った人たちに長袖の人は2人くらい? なんで自分は長袖なんだろう?ガイドブックには雨が多いとあったし、山の天気は変わりやすいから冷えないようにと思ったんだっけ。 でも空はピーカン。汗だくで歩いてきた自分は何なのか。それでもしばらくは長袖のままでいた。 つづきを読む

屋久島編 12 縄文杉登山 -(7)ついにゴール!「縄文杉」でお昼ごはん

  午前10時38分。小さなざわめきが聞こえてきた。 もしかしたらゴールが近いのかもしれないと思った。  午前10時40分。「縄文杉」展望台が見えた。現地点の標高約1300メートル。 「着いたーーー!」 展望台を昇ろうと階段に足をかけたが、次の一歩が上がらない。到達して安心してしまったらしい。疲れが一気に出たのだろうか。でも昇らないと見えない。 深呼吸をして「えいっ!」と一息に昇った。 「縄文杉」があらわれた。( 縄文杉を大きく表示 )  貫禄あるその姿をしばらく立ったまま上から下まで眺めていた。 すると同い年くらいの女性二人に写真を撮ってほしいと頼まれたので、縄文杉がなるべく入るようなアングルでシャッターを切った。 両手を頭の上で合わせて「縄文杉ーー♪」と言ってポーズをとったのがおもしろかった。それから、あとから着いた人たちの邪魔にならないように端によって座り、時間的には早めのお昼ごはんを食べた。 縄文杉を眺めながらの食事は格別だ。周りの人たちも感動を分かち合いながら楽しそうに話したり写真を撮ったりしていた。ケータイのカメラで撮っている人もたくさんいた。私のはカメラは付いていなくて、ずっと圏外だった。  続々とゴール到達の人達がやってくる。ガイドさんと一緒の人達は展望台では食べないようだ。 次にやってきた女性二人組は、「もう着いたよ!早くない!?」と言った。「楽勝だったね」とも。そりゃ、2人で励ましあいながら来れたのなら時間もあっという間に感じただろう(羨望)。  食事を終えて展望台の碑を読んだ。 縄文杉は直径5メートル、周囲25メートル。推定樹齢は2170~7200年といわれている。人間の寿命なんてちっぽけに思えてしまう。眺めていて思ったことは、「そこにそのまま在る」ということ。難しく考えても結局自分は自分でしかない。それなら「そのまま」でいればいいんじゃないかって思った。  大株歩道入口の注意書きには午後1時までにはここを出発するようにとあったけれど危惧するまでもなかった。午前11時ちょっと過ぎ、縄文杉に別れを告げて展望台を降りた。 再び4時間の帰路についた。 つづきを読む

屋久島編 13 縄文杉登山 -(8)ヤクシカとばったり

  今回の旅の目的は達成した。きっともう2度とここには来ないだろうなと思いながら元来た道を行く。さすがに下りは楽だ。木漏れ日が木の道を照らしていた。 「縄文杉」に会った・観たという満足感でいっぱいだった。まだ登山中の人たちとすれ違う時も、一方はたいへんそうな表情で、一方私は笑顔で道をゆずる。しかし、昇る時ハシゴのようだった階段は下りるときもつらかった。トントンとリズム良く降りたいが段差が大きく、湿って滑りそうでこわい。 だから慎重に後ろ手をつきながら一段ずつ降りた。  改めて見ると道のほとんどが樹の根に覆われてしまっていたり、沢に倒木が転がっていて、どこを通っていいのかわかりにくい場所がいくつもあった。ホントよく通ってきたなあと感慨にふけった。  40分後、大王杉まで戻ってきた。ちょうど樹の説明を聴いているグループに出会った。そして気付いた。 みんなが観ている樹と、私が大王杉だと思っていた樹が違うのである。山側の草木に埋もれた樹が本物の「大王杉」で、写真を撮った崖側の樹は名前の無い「大きな樹」だったのだ。きっと「大王杉」を示す看板の向きが微妙なせいだ。  午後12時23分。「ウィルソン株」まで戻ってきた。周りにはカップルらしき2人しかいなかった。疲れていたので私は遠慮せず手近な切株にこしかけた。ウィルソン株は広場のように開けた場所のちょっと高いところに口をあけて存在している。RPGなら中には宝箱があって然りである。ここにも木漏れ日があたりを照らし出して、ガクガクいうヒザもいやされる風景だった。おしりに根っこが生えないうちにウィルソン株に別れを告げた。  午後12時32分。ふたたび「翁杉」。大株歩道最初の大木であり、歩道の最後を告げる樹でもある。大樹と岩とコケの緑にうもれた太古の森をめいっぱい堪能して、疲労もめいっぱいだったけれどとても満たされた気持ちだった。  午後1時頃、復路のトロッコ道のはじまり「大株歩道入口」に下り立った。やっとこあと半分である。しかし、平坦な道が続くのでいくらかはマシだ。  午後1時30分。ヤクシカ発見。 しかも親子だ。線路の上を子どもが親のあとをチョコチョコとつかず離れず歩いていた。  ヤクシカとヤクザルが付近には住んでいるはずで、ヤクザルにも出会えたらいいなと思った。 つづきを読む

屋久島編 14 縄文杉登山 -(9)レールの上の出会い色々

  トロッコ線路の上に、行きはなかった大きな重機が止まっていた。 線路をまわりこんで進むと、枕木の工事作業中のおじさん達がいた。登山道の整備はこのおじさんたちのおかげなんだ。軽く会釈しながら歩いていくと、 「1人で行ってきたのかい?」と訊かれた。「そうです。」と答えたら、 「エライ!」と何故かほめられた。ちょっと照れつつその場をあとにした。 こんな山奥で延々とのびる登山道を整備するおじさんたちのほうが「エライ!」と私は思う。  後ろを振り向いたらいつのまにか1人のお兄さんに追いつかれてしまっていたので、さっきの一部始終を聞かれたと思ってちょっと恥ずかしくなった。そそくさとスピードをあげて先を急いだ。  三代杉まで戻ってきた。 誰もいないので樹のそばに腰をおろして休憩した。あと1時間でスタート地点の荒川登山口に着くはずである。もう足は棒のように動かないほどクタクタだ。 もう遭難しちゃおうかな。でも、捜索費用は自己負担なんだよな…。 ぼーっとしていると、さっき追いつかれて急いで引き離したお兄さんがもうやってきた。 「こんにちは。」とあいさつを交わすと、その人も手近なところに座った。 「…」 2人とも終始無言である。何か会話すべきか悩んだけれど浮かばなかった。気まずいのでとっとと先へ行くことにした。 「お先に失礼します。」と小声で言ったが、お兄さんには聞こえなかったかもしれない。  午後2時2分。5分もたたないうちに前方に2人の女性が立ち止まっているのが見えた。 「こんにちは。」と挨拶すると、1人が黙ったまま左を指差す。何?と思ってふりむくとまたしても2匹のヤクシカがいた。しかも至近距離だった。 「おぉ!」と思わず声をあげてしまって、すぐに口をつぐんだ。女性2人はケータイで写真をとっていた。 ヤクシカは草を食べていて、こちらを全然気にしていない。私もカメラを取り出してシャッターをきった。 私は満足したので先に行こうとしたら、足音がシカを刺激してしまったらしく移動してしまった。2人はまだ撮影中だったから、「すいませんっ」と小声で謝り、静かにその場を離れた。幸いシカはちょっと動いただけで居なくなったりはしなかった。 一方のお姉さんがいいアングルで撮れたみたいで「いい感じ♪」と喜んでいた。 つづきを読む

屋久島編 15 縄文杉登山 -(10)あとは帰るだけ…なのに

 午後4時近く。荒川登山口まで無事に戻ってきた。朝の6時30分にスタートして約8時間の行程。「よくやった。自分。」とほめた。 満杯で入れなかった駐車場には空きがたくさんできていた。周りには2、3人しか見当たらなかった。登山口から離れた場所に車を止めたため、(もう少し…)と自分を励ましつつ歩いた。 車のドアを開けて、暑い車内を少しでも冷まさせながらトレッキングシューズを脱いでスニーカーに履き替えた。  これから肝心な下山連絡をしなくてはならない。 携帯は圏外で使えないからふもとまで下りてからしようと思っていた。下山予定時刻を午後5時30分にしておいたし、十分間に合う時刻である。 車のエンジンをかけるためにキーを回す。 「…」 かからない。何度もキーを回してみたけれど何の反応もしなかった。 ふと、ライトのスイッチを触ってみたら、つけっぱなしだった。バッテリーがあがってしまったのだった(蒼白)。 ブースターケーブルはない。あってもどうやるのか知らない。 レンタカーの事務所に電話しようと思ったが、登山口に公衆電話はなかった。最も近い公衆電話まで歩いて20分の距離である。こうなったら誰かに頼むしかない! また登山口へと向かい、頼れそうな人を探した。トイレの前に夫婦らしき2人がいたのだけれど、なんとなく声をかけづらかった。(人見知りしてる場合か!)  いったん、車まで戻った。もしかしたらと思ってもう一度エンジンをかけてみたがやっぱりダメだった。無駄とはわかっているけれど、ボンネットを開けてバッテリー液が混ざるように車体を揺らしてみた。「えいっ!」と体重をかけると、ボンネットを棒で支えていなかったため、弾みでボンネットが落ちた。 「ごん。」と音をたてて頭に当たった。自分が情けなくなってきた。 しかし、あきらめ悪くもう一度キーを回してみると、「ポンポンポンポン…」とちょっとだけ警告音が鳴った。しかし、エンジンがかかることはなかった。  太陽はまだまだ高く、暑かった。落ち着こうと思い車の傍でひと休憩した。  午後4時30分。再度登山口へ行ってみた。さっきより多くの人たちが帰り支度をしていた。私は思い切って年齢が同じようなカップルに声をかけた。 「あの、すいませんっ。」 「はい?」 「私の車、バッテリーがあがっちゃって動かなくなっちゃったんです。」 「あー、レンタカーなのでケーブルない...

屋久島編 16 縄文杉登山 -(11)レンタカー事務所に助けを求め、カニと出会う

  おまわりさんから教えてもらったレンタカー事務所の電話番号は、一般の番号とフリーダイヤルの2つ。あきれたことに、この時点で私は公衆電話でフリーダイヤルは使えないと思い込んでいた。だから10円玉で一般の番号にダイヤルを繰り返した。しかも1枚を残すのみ。  何度目かで奇跡的につながった時は「やった!これで助かる!」と思った。レンタカー事務所のおじさんが電話口に出た。急いで助けにきてほしい旨を伝えると、 「ナンバーはいくつですか?」と訊いてきた。 おまわりさんと同じ質問だ。わからないと答えて自分の名前を告げるとおじさんは 「あぁー、わかりましたー。」と答えてくれた。途端に、通話は切れた。 10円分の通話が終わってしまった。 (…ほんとに自分だとわかってくれただろうか?) 荒川分かれにいることは伝えたが、このあとどうすればいいのか聞く前に切れてしまった。 このままここで事務所の人が来てくれるのを待っていればいいのだろうか? いや、もしかしたらちゃんと伝わっていなかったかもしれない。途中で切れたから、またかかってくるのを待っていて、ここへは来ないんじゃないだろうか。 ひとりでいる不安さで、ネガティブな考えばかり大きくなった。  なんとかもう一度連絡するべきだという結論に達し、地図を広げて他に電話をかけられる場所はないか探した。今居る荒川分かれから2キロ先に「ヤクスギランド」があった。車なら5分の距離である。そこの事務所の電話を借りようと思いたった。 もしレンタカーの人が来てくれるとしても1時間はかかるから、「ヤクスギランド」へ行って戻ってきても十分余裕があると思った。電話に苦戦している間も下山する車が時々通っていたが声をかけようとはしなかった。我ながら人見知りにもほどがある。  不安は焦りに変わって、早足で舗装された道を進んだ。カーブが続いて先を見通すことができない。そこへ1台のバスが通った。定期便が走っているのを思い出した。けれどこのときは「ヤクスギランド」で頭がいっぱいだった。 (どうしてあのとき…) 早足で歩きながら、自分を責めつつ泣きそうになった。それに追い討ちをかけるように、さっきまでの快晴がウソのように陽が陰りだし、雨がぽつぽつと落ちてきた。 (もうダメだ。このまま遭難して死んじゃうんだ。) けっこう歩いたはずなのに「ヤクスギランド」はちっとも見えてこな...

屋久島編 17 縄文杉登山 -(12)ヤクシマザルの群れに遭遇

 「やり方を見ててもいいですか?」 バッテリーのチャージの仕方を覚えようと作業するお兄さんの隣で見ていた。あっという間にエンジンがかかった。  「しばらくクーラーは使わないでくださいね。」と言われた。寒さには弱いけれど暑いのはわりと平気だ。修理費5,600円。仕方がない。 細かいお金がなかったので後で事務所に寄ることにした。 「先に行ってください。ふもとまで一緒に行きましょう。」  見通しの悪い山道をそれでも注意深く下りた。アクセルを踏まなくても進むからブレーキを要所要所で踏むだけである。 窓全開で気持ちよくカーブを曲がったとき、いきなりヤクシマザルの群れに出会った。 わりと広い右カーブの左側にガードレールがあって、その下にずらりと群れていた。 はじめは「灰色のなんかモコモコしたのがいる」と思った。次の一瞬でそれがノミ取りをしていたり、あおむけになってたり、リラックスしたお猿さんたちだとわかった。 夕方のだんらんのひと時だったのだろうか。 ヤクシマザルと気づいた途端に通り過ぎてしまい、一瞬の出会いだったが見られてうれしかった。  無事、安房まで帰ってきた。レンタカー事務所のおばさんたちにお礼を言って別れ、Aコープへ夕ご飯の買出しに向かった。アメリカンドックと菓子パンを2つ、ジュースを1本購入。 民宿あんぼうの自分の部屋へとたどりつき、安心と疲労でしばらくボーっと座っていた。 カーテンを閉めようと窓へ這って行くと、窓外のすぐ下で犬が横になっていた。ちょっとビックリして窓を開けると人懐っこくしっぽを振ってくれた。なでたら喜んだ。 この宿の看板犬なのだろう。そこへ昨日と同じようにおかみさんが、 「おふろ入りますー?」と声をかけてくれたので、動くのがイヤになる前に今日一日分の汗を流した。  今日あったこと見たことは一生忘れないと思う。明日はゆっくり屋久島をめぐるつもりだ。目覚ましを午前10時にセットして眠りに就いた。 ---2日目おしまい。 つづきを読む

屋久島編 18 島内一日散策 -(1)トローキの滝へは「ぽんたん館」から

7月25日(金)   午前10時、暑くて目が覚める。予想はしていたが体中筋肉痛だ。ミシミシいわせながら支度した。民宿あんぼうの玄関前はすぐ川だ。それも海の入口。 外ではおかみさんが犬におやつをあげていた。窓を開けて挨拶をする。 犬の名前は「リリー」だと教えてもらった。 「リリー♪」と確かめるように言ったら、こっちを向いて「わんっ!」と返事をした。賢い。  本日のメインは2つほど決めていた。ウミガメが産卵にくるという「いなか浜」を見て、尾之間温泉入浴で締めくくる。そのほかは気の向くままに。  午後1時。「ぽんたん館」到着。 ノドが渇いていたから、冷えたパッションジュースを購入。パイナップルよりスッキリしていて酸味があり、とてもおいしかった。売り場には名産のたんかんジュースやマンゴー、屋久杉の加工品などが並んでいた。  おみやげに何か買おうとしたがその前に「トローキの滝」がここから歩いてすぐらしいのでそちらへ向かう。 ぽんたん館の前の道路を渡ると、トローキの滝へ案内する石があった。「トローキ」という名前の由来も書いてある。 「ゴーゴー」と轟いて落ちるから「とどろきの滝」、なまって「トローキの滝」というそうだ。矢印通りに歩いていくと、狭いケモノ道になっている。 行き止まりがちょうどトローキの滝を見ることの出来る場所になる。そこはケモノ道を30センチほど降りたところだったので、サンダル履きの私はコケそうになった。  人1人分のスペースしかない観察スポットからトローキの滝はよく見えた。  川の水が直接海に落ちる珍しい滝。海に融けた水はやがて蒸発して雲になり、雨となって島に降り注ぐ。森が水を吸って地下水となり、湧き出た水が沢に、沢が川に、川からふたたび大海へ。 こうして水は地球を循環するのです。って環境文化村センターの映像は言ってた。一歩引いて見渡すと遠くに橋が見えて、絵になるなあと思った。  ぽんたん館へ戻ってきて、おみやげに「たんかんジュース」と「マンゴー」、たんかんの皮に砂糖をまぶした「屋久のかりんとう」を買った。  現在地は島の南。対角線上に位置するいなか浜までの間には、枕状溶岩の「田代海岸」がある。というわけで、田代海岸へ。 つづきを読む

屋久島編 19 島内一日散策 -(2)ハマユウの咲く浜 田代海岸

 午後1時40分。田代海岸にて。 何だか試練のように海岸へ抜ける道は狭かった。真っ昼間の海岸には人っ子ひとりいやしない。熱せられた砂に足がいちいち埋まって熱いのなんの。  目の前には枕状溶岩と呼ばれるごつごつした岩がいっぱい広がっていた。足を冷やすために点々とある石をつたって波打ち際へ向かう。そして「フナムシ」を初めて見た。 動かなければ砂と混じってわからないのに、逃げるようにサカサカサカ…と遠ざかっていくのだ。好きにはなれない。  遠浅で波は足元までくることはなく、きれいな透明の海水は…ぬるかった。しかし、底の小石が足裏のツボを刺激して気持ちよかった。海に背を向けてみると、ハマユウが群生して花を咲かせていた。白く細い花弁がカールして集まった形で、美しい植物だと思った。 枕状溶岩の敷き詰められた景色は普通の磯とは異なる雰囲気をかもしだしていた。なかには、亀の甲羅のようなゴツゴツ加減の岩があった。  車に戻る前に、岩場に貯まった水で砂を洗い落とした。そこへちょうどワゴン車がやってきたので入れ違いに海岸をあとにした。 つづきを読む

屋久島編 20 島内一日散策 -(3)屋久島灯台にて

 次に向かったのは、100年以上も前に建てられた「屋久島灯台」。 屋久島の北西部にある。田代海岸で思い切り陽を浴びたのですごくノドが渇いた。 通りすがりの自動販売機でコーラを買って飲んだ。  午後3時20分。「屋久島灯台」到着。灯台の入口の門の上にツーリング中と思われる男性が座っていた。挨拶を交わすとすぐに行ってしまった。  真っ白い建物は元々レンガ造りだったそうで、今はその一部だったものが記念に残されている。ちなみに灯台の明るさの単位を「カンデラ」という。灯台の中へは入れないので、ぐるりと周りを1周した。  このとき見た海はとてもキラキラしていて水平線までずっと澄んだ青い色をしていた。 お隣の島「口永良部島(くちのえらぶじま)」がよく見えた。  しばらく海を眺めたあと、今度は一組のカップルがやってきたので入れ違いに灯台を後にした。お次は本日のメイン、「永田いなか浜」だ。 つづきを読む

屋久島編 21 島内一日散策 -(4)おいしい!グァバ氷 永田いなか浜

 午後4時。「永田いなか浜」到着。 陽が照りつける中、家族連れやカップルがまばらにいた。パラソルの下で読書をしている女性や岩場で潜水している子どもたち。水着を持ってきていたけれど、間近に波を見ていたらこわくなったのでやめた。波が引くときに砂に足が埋もれていく感触が苦手でもあった。 眺めているだけでも、透明で美しい海だ。  砂浜を見渡せる小高い場所に「ハッピーいなか浜」という小さな海の家があって、かき氷やラーメンなどお馴染みのメニューを取り揃えていた。その中に、「グァバ氷」という聞き慣れないものを見つけた。 あちこちに貼られたチラシによれば、グァバという実が健康に良いものらしい。 どんなものか興味が湧いたので「グァバ氷」を注文した。すると、店主のおじさんが「味見してみなくていい?」と訊いてきた。 ちょっと迷ったが、味見はやめてできあがるのを待った。店主はカウンターに備え付けてあるジューサーからミルク色の液体を取り出し、カップにたっぷり入った氷の上にかけていた。この液体がグァバの濃縮シロップらしい。先がスプーンになったストローをさしてできあがり。  見た目はとても素っ気無いかき氷だ。ひと口食べてみるとミルク色のシロップはとても甘くて、植物の実っぽいフルーティーな味がした。とっつきにくくなくおいしかった。  いなか浜の中央付近は砂浜部分が波打ち際よりいきなり150センチくらい高くなっていて、波打ち際を見下ろす形になる。きっとウミガメが平らな砂浜の端のほうを産卵場所にするようにしているんだと思った。  堤防のような砂浜に腰をおろしてかき氷を食べた。腕と脚は容赦なく日に焼かれたままだった。シュノーケルをつけて海とたわむれている子どもがとても羨ましかった。自分はヒザ下まで波につかるので精いっぱいだった。 そんな感じでボーっと眺めていたり、波打ち際に下りてつかったりを繰り返していた。  午後4時40分。いなか浜をあとにして、本日のメインその2「尾之間温泉」へ向かう。 つづきを読む

屋久島編 22 島内一日散策 -(5)尾之間でひとっ風呂 尾之間温泉

 「尾之間(おのあいだ)温泉」は島の真南にある。 永田いなか浜からは1時間40分かかる。夕飯前のちょうどお風呂タイムだったからなのか尾之間温泉は混んでいた。200円を番頭さんに払って入場。  お風呂場には硫黄のにおいがたちこめ、シャワーはあるが、基本的に汲み湯を利用するようになっていた。しかしその汲み湯が熱かった。水で湯温を下げながら体を洗って、湯船につかる。浴槽はそれほど大きくなく、目の前ではお湯をくむおばちゃん達が並び、ある種異様な光景だった。底には玉石が敷き詰められていて気持ちよい感触だった。 湯加減もとても良かった。 湯上りに外に出ると風が心地よく気分もさっぱりした。  お腹が空いたので尾之間温泉近くのレストランに入った。リフォームショップも兼ねたお店で、システムキッチンやタイルのサンプルが並んでいた。お客さんは地元の常連さんらしきおじさんと会社の上司と部下らしき男女。お店は母娘できりもりしていた。 窓からは海が見え、テラスで食事をすることもできる。 メニューはオーソドックスな洋食で魚料理が苦手で偏食の私にはありがたい。私はショウガ焼き定食を食べた。ボリューム満点でおいしかった。  民宿への帰り道、かねてから気になっていたバス停で車を止めた。 民家の並ぶ道路脇に立つなんの変哲もないバス停だ。このバス停の名前が「焼酎川」のりば。地名がつくのはよくあるけれど焼酎の川というのは珍しい。実際このバス停のそばに用水路が流れていたが焼酎川かどうかはわからない。  民宿のおかみさんに今日はお風呂はいいです。と伝えて部屋に戻った。とうとう明日は屋久島を発つ日。  午後2時の船の時間までどこで暇をつぶそうか考えながら眠りについた。 ---3日目おしまい。 つづきを読む

屋久島編 23 海を眺めて暇つぶし 一湊灯台

 7月26日(土)  屋久島の旅最終日。民宿あんぼうのおかみさんに、3日間お世話になりましたとお礼を言って出発した。とても居心地が良かったのでちょっとだけ寂しく思った。  午前10時。船の出発する時間は午後2時過ぎ。まずは荷物を送ろうと宅配のお店へ向かう。宮之浦港へ着くと激しいスコールに見舞われた。それまでずっとお天気だったから、前が見えないほどフロントガラスを叩きつける激しい雨を体験してちょっとドキドキした。 港のそばのクロネコヤマトに荷物を預け外に出ると、島の北、一湊方面は晴れていそうだったので一湊海岸へ向かった。  宮之浦港を離れてすぐ雨は小降りになり一湊(いっそう)に着いた時には昨日と変わらない青空が広がっていた。宮之浦とあまり離れていないにもかかわらずこんなに天気が違うなんておもしろい。  一湊にも灯台がある。一湊海水浴場から道しるべ通りに小道に入り、一湊灯台を目指した。狭いスロープの先にはキャンプ場があった。端の方に車を止めて外に出ると同い年くらいの女の子たちがせっせとキャンプセットを片付けていた。どうやらここも通り雨にあったようで、突然の雨にびっくりしたらしい。  灯台は坂の上にあった。しかし、管理棟は見えるが灯台へは林の奥に行かないと見ることはできない。舗装された小道が林の奥に延びているが、誰もここにこないのか、草が生い茂り落ち葉に埋もれたままだった。しかも、フナムシがたくさんいた。 雨が降ったから茂みから出てきたのだろう。歩くたびにカサカサ…カサカサ…と私を中心に放射線を描くように逃げていく。とても気持のよいものではなかった。 間違っても踏まないように下を見ながら歩いた。 ふと、物音がして周りを見るとヤクシカが数頭いることに気がついた。こちらをうかがうようにじっと見据えていた。 私はとにかくフナムシが嫌だったので急いで灯台を目指した。  一湊灯台は屋久島灯台ほど大きくはなかったけれど、景色は格別だった。 西側が東シナ海、東側が太平洋である。でも海の上に境界線が見えるわけでもなく。水平線上には何もなく、ただ明るく輝く青色が広がっているだけだった。私は柵の上に立ってしばらくの間ぼーっと海を眺めていた。 左の方から来た船が右の島影の向こうに消えるまでずっと見ていた。 船から私は見えただろうか。灯台にじっと動かない変な人影が見えて気味悪く思ったりし...

屋久島編 24 川を眺めて暇つぶし 屋久島総合自然公園

 船の出港まであと1時間。宮之浦港から乗船するので、港から近い「屋久島総合自然公園」へ行ってみた。まだ所々整備中のようで道路や橋の工事をしていた。駐車場に適当に止めて川へ下りた。宮之浦川だ。ここなら涼もとれて長居できそうだ。  橋を境に左奥が岩がゴロゴロしている急流で、反対側は比較的穏やかに流れていた。林の奥から勢いよく水が溢れ、橋の上から見ていると吸い込まれそうだった。  橋の下では、小学生たちがランチタイムを過ごしていた。課外授業だろうか。みんな水着姿だったからひと泳ぎした後なんだろう。しかし、川の水はきれいだけれど底は見えないし、深そうなところでよく泳げるなあと思った。  子どもたちの他には、年配の夫婦と家族連れが遊歩道で涼んでいた。遊歩道は川沿いの林の中に設置されているため日かげになっていて、木製の道は湿っていた。遊歩道入口の看板に「遊歩道は滑るので気をつけましょう」とあった。 気をつけても滑った。へっぴり腰のまま下流に向かい川原に出て、座り心地の良さそうな石を見つけて腰を下ろした。裸足になって流水にヒザまで浸るとひんやりとしてなかなか気持ちが良かった。すると、SFに出てくる小型ロボットみたいな針金の足をつけたクモが私の手の甲を走っていった。「うわっ」と驚いて振り払ったら水面に落ちてしまったのだけれど、そのクモは沈まずにアメンボみたいに浮いて近くの石に渡って行った。  頭上の太陽がジリジリ照りつける中、時折葉っぱとか枝が流れてきて石にぶつかっていくのを眺めたり、水をすくってバッシャバッシャ跳ね飛ばしたりしていた。自分もプカプカと河口まで流されたら気持ち良さそうだ。いつまでも飽きそうになかったが出航30分前になり、自然公園をあとにした。  鹿児島で着替えるつもりで短パンのままジーパンを持って「トッピー」に乗船した。 さよなら、屋久島。またいつか。 なんとなく海面を見ていたら、すぐ近くにウミガメの薄黄色の甲羅が見えた気がした。  鹿児島港に着くとタイミング良くバスに乗ることができた。西鹿児島駅でジーパンに着替えて「しろくま」と「かるかん」をおみやげに買った。  初めての寝台列車「なは」号は快適だった。個室だから周りを気にすることなく寝ていけるし、腰が痛くなることもない。東京に着くまでの間、暇つぶしにGBA「MOTHER1+2」で遊んだり、今日まで自分が体験した「...